2023モンゴルツアー "伝説の炎"


2023モンゴルツアー  "伝説の炎"-MAIN-





  いーやー、まいったわ。モンゴルに21日間。

帰国1日目 軽く掃除、きてたもの洗濯。 爆睡。

  2日目 気分リフレッシュできたからと、自費出版の編集作業を始めよう!! と思った午前中空港からおくった荷物届く。洗濯。洗濯しながら、爆睡30時間。

  3日目 「まあ長かったし一日ぐらいありだよな」.....  机に向かう。「自費出版」フォルダ開け必要なデータを展開して.......で、 体に力が入らない。「十分寝たし、気力もある..。」が、「座る」ための筋肉すら..というか、脳も動かない。なんというか、エネルギーはたっぷりあしエンジンは全開で回ってるのにギアがはいってないって感じ?...ずるずるずるスライムのようにイスからすべりおちてベッドへ。


 今回のツアーで最初からすごくお世話になったGさんに聞いたのだが、「国をうつると体調崩すことあるから、お大事にね.。」Gさんはモンゴル人だが、日本でくらしてん十年になる。たびたび帰郷のため移動しておられるのだろう。 そういえば私は若い頃の交換留学生8週間゜以降3週間というのは最長だった。

 帰国の挨拶も欠かしたまま寝込んでしまい、3日ほどで風邪の症状にになりコロナ検査をしたがそれは大丈夫でクーラーのいれすぎにきづいたがなおるのに3日、そのあと以前やらかした原因不明の腹痛下痢..ズルズル....3週間.. 多分「自律神経」というやつだと思う..... よく聞く「時差ぼけ」というのは、モンゴルと日本は時差はないが、...環境の激変による体調変化もあるんだろうな。

でも、-5kgは達成した。⭐️





モンゴルは熱かった。 でも雨と嵐にも悩まされた。


 さて、今回のモンゴル旅行記はちょっとまともな記録文にしてみる。

 ここ十年以上まともな文章をかくどころか、読むことすらほとんどしていない。

たしか゛12.3-16年頃でた"GAME OF  Thorones"の原作「氷と炎の神話」第五巻が最後な気がする。その後は絵のついてない本は数冊しか読んでいない。さいきんは2ちゃんの修羅場まとめとかバカゲー動画にコメントするばかりで、SNSへの投稿もまともな文ではない。 これではいかん、わずかにもっている文学の学士号が泣く。 ....作品に入れる文字表現も劣化の一途を辿っている...。私は文字が好きなのだ。   祈願文字芸術復活。



文字は論理を表すものである。文字芸術においてもその性質を逃れるものではない。
今回は体験レポートとして叙事表現を重視した記事になるだろう。

 宜しければお付き合い願いたい。



あ、英語も時々つけるけどそっちはあまりつっこまないでね♪ 



 で、旅行記ではあるが、時系列ではなく、テーマ別の編成とする。渡航目的は、 毎度のごとく 1.乗馬 なのだが、今回は  2.モンゴルで馬を飼いながら生活する夢を叶える準備という漠然とした目的、具体的には「なるべくテントで独居しながらのホームステイ」てあった。



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乗馬修行メモ

渡航 :7/19日のはずが 翌日00.005出発となった

ウランバートル郊外、ナライハのはずれのT氏宅にホームステイさせてもらい、

いろいろあって23日から乗馬スタート。







23日 一日目


 テントに迎えが来る。 ガイドはテメーさん。 馬を引いてきた。

あらかじめあずけていた「マイあぶみ」を、とりつけた鞍ごと手違いで他所に、ということでそこまで普通のあぶみで。 1時間ほどかかる。

 ライジング! 号


   普通のモンゴルのあぶみ、 丸い重い鉄板にアーチがついた型のものだ。

 馬は、「危ないので走らない馬を用意する」といわれたのを「いやだ、走らない馬なんて馬じゃないw!!」と言ったせいか?      「走りたがりすぎだわっつつ!!」 という馬であった。この後馬具が変わりコースが変わっても、ナライハで2週間、この馬に付き合ってもらうことになる。

 この馬は、とくに上り坂をがばがば駆け上がるのがすきなので「ライジング!」号と命名する。モンゴル人は馬に名前をつけないが。 結局、いろんな条件で乗り方をかえて、混乱させて走りにくかったろうに、よく付き合ってくれた。  悪いことしたな....;;


Rizing!

I  ran  on  nice   trecking  horse  "Rizing!!"

with  usual  Mongolian  stturrup.  half  a   day. Rizing!   is a  trecking  

horse  from  Mr.Tsogt 's   trekcing  compay. 


  I  named   him,  because   he  loved  to  run ,  espesiaally  uphill! 

He  goes  slow and  slow   @downhill  ,  but  bigins  Run  and  Run

@just  the  bottum  -end  of  downhill.



一日目午前

快調。 

馬 よく走る。

普通これまで、私は、暴走や怒った馬を押さえたり止めるはできるほうなのだが、

早く走ってもらうのはなかなかできない。 体が重いせいかもしれない。


ライジング 号は広く走りやすい所に出ると、私が「おお、気分いい」と思っただけで

加速の指示をしなくても走り始める。 「早足」もすぐ早めの歩様になり、 調子出ると勝手に駆け足に。


こ、これはやばいのでは、、、

でも馬は指示に逆らってるわけじゃない。指示にないことをしてるだけだが..

..だが、

「危険なほど加速しそうときに、減速指示に従う」ならばいいのでは? とおもい

やってみた  いちおうできた。

で、「馬のやりたいようにさせて、どうしたい気分なのか?を読みとって判断」


→良い状態ならそれにあわせて走行プランをイメージして馬をリードする」


と、いうことをこのとき試してみた。


駆け足の加速が激しいと、少し怖くなる時もあったが、 

すこしだけがんばって自分も修行することにした。

この日は平坦な道だったので、うまく速度を伸ばせたと思う。



午後 




目的の マイ鎧のあるご家庭のゲルによって、お茶をいただいた。子供に女性、働き盛りのデール姿の男、たくさんの人が来て、どういう関係なのかはわからなかったが、ワイワイして親しいようだった。もっとも、モンゴルの遊牧民は、通りすがりの旅人でも家に迎え入れてお茶とチースーなどを出すし、さんざん世間話のあげく、「今の、誰?」「さあ?」なんとこともあるらしい。 デール姿は、昔より増えているように思う。 

 マイあぶみは、馬繋ぎのそばに積まれている鞍の中にあった。


Trial  of  Camargue type stturup

I  bought  it  thuru Amazon、



   The  riding ,  after   changing  the   sttrrup to   Camargue  type

  was   

   Terrible  and  Worst   wwww.




  my  right  foot  slipped  off frequently  from  the  sttrup

and   became   just   "Walking"    is impossible.  Mr. Temee,    

nice  Mongolian  horsemanwho's  neme  is  " Camel " ,

  helped  me with   pulling  reign ,his  horse   close  to  Rizing!   

 for  2 hours   ,  

    AT  last,   I  've   found   "no struup "      is  better.



 


このあぶみは「カマルグ型」

 普通の鎧と違い、鳥籠のようなカバーがついている。南フランス、白馬で有名なカマルグ地方の牧童がつかう伝統的なものだ。鎧は、足が金具にはまって抜けなくなる事故が危険なのだが、その防止ためのストッパーがついている。

 最近はモンゴルの鎧にもストッパーのついたものがつかわれている。(だがなかなか店でみつからないのだが...)モンゴルのものよりかるくシャープで、使いやすいだろうと思ったのだが......



Therefore......


  after   it,   I v  e  found   it  is  because of    my  foot.

  Small.  but  horizontal -    wide.  


 so  my  Boot's   toe   is    always   "Nothing-inside."


U  may  see.

Everyone  said  No,  No  Sandal!    but    decided  to  use

  my  sandai   that  is    free   about  foot  

width ,    and  3  belts  to  fusten   my  foot.     



I  think,    For  me,  Mongolian   Type sttrup    that 

 has  wide  iron plate   and   can 

 support   my  foot   is  better.   


Camarugue  type  is  maybe  good 

 for  rasing  , europian  equsterian   , 

 dresserge    delicate riding  technics




     




      ########   最 悪    ########

www地獄www

特に右足が、うまく踏み込めずフラフラ、ゆっくり歩かせる並足すらつづけることができず、 2時間余り、テメーさんがひっぱってくれた。少しでも早くいくと足がはずれかけ、 はっきり言って地獄だった。 忍耐強くひっぱってくれたテメーさんに感謝。 あれは、途中で怒って逃げられても仕方ないくらいだった。

 しかし、モンゴル人は時間には遅れるし、約束破ることもおおいけど、責任感が強いのだ。

 終盤、あぶみをはずしたほうがマシだと発見、崖の手前で「くっついていると危険」とおもい、あぶみなしで騎乗、たづなをはなしてもらい、最後は少し早足できたものの、ヨレヨレになって、テントに帰った。


帰って分析

 私は、いわゆる「カエル足」で、サイズは24しかないのに、横幅が比較してひろい。つまり足の実縦幅が24よりさらにかなりみじかいが、横幅のために24センチの靴でないと入らないのだ。 どんな靴でも指先が余るのである。とくに、乗馬用のブーツは、でかくてがばがば。(横幅だけでなくふくらはぎはでかいので...) 

 でも、しっかりふみこめばだいじょうぶだったのだが...


「カマルグ型」は小さくて、踏めるのが半円形の部分しかない。なかみのないつま先部分でしかふみこめてなかったのだ。 結果、はずれまくった。

 テメーさんは 「モンゴリアン・ソツクス」-あしに布を巻いて靴に合うようにする-を教えてくれたが、つま先が埋められるわけではなく、もしつま先に布を突っ込んでもそこに力を込められるわけでもない。私は、日本から履いてたスポーツタイプのサンダル、3点でベルトを締め直せるもの-をためすことにした。


 

サンダルなんて」 と反対されまくったが、。3800円もするんだよー。
底も結構しっかりして...いやとにかく「1000円のスニーカーより絶対マシ!!」と強行。 マジックテープも意外と強力。いちばんつま先まで指を押し込み、しっかり固定することができる。 サポーター類をかなりもってきてるので、脛周りを十分ガードすることもできた。この装備で、次の日から地獄からは脱却。普通程度には、乗れるようになった。




 



....まあでも、結論としてだがこのあぶみ、私はまったくダメだった。モンゴルで多く使われているがっつりした丸い鉄板のあぶみがいい。  一般的な柵内の乗馬術や、レース用の横一文字型のあぶみに慣れてる人は「一文字に踏み心地が似ていてデリケートな操作がしやすく、カバー付きでより安全」ということでいいだろうが、とにかく全く踏み込めない。モンゴルのあぶみがガッツリ踏み込めるし、ストッパーがなくても、引っかけ事故のおこりにくい形状だと思う。現在ではシンプルな安全ストッパーがついた物もある。

ウランバートル最大のナラントール・ザハを探しまくったけど買えなかったのだが...

 日本や外国でもこれ使いたいのだが、国内のほかの外乗クラブなどでつかってなかったろうか?




モンゴルで見る一般的なあぶみ。





23日午後 

 テメーさんは帰り、午後もくるはずだったがきてくれなかった。  時間と労力的には一 日分くらい午前中に過ぎてしまったとは思うが...

「あれでは靴を変えても乗馬は無理」とおもったのかもしれない。


24日 午前・午後

 テメーさんは懲りたのか?     若い人が来た。(名前忘れた。ごめん..。 きいたが発音しにくくおぼえられなかったんだ..←よくある)


 馬は昨日と同じ。




家畜の群れとのおつきあい



   Let  us  say hello    to   Azraga,  the  King  Stallion.  and  his  herd.


      In     Mongolia,  Horses  are  not in  fence.    

The  herd  is   One  stallion  and  his  wives,  

and  foals   ,  and   gerdings,   mostly  his  sons.     

      "Rizing" who  loves  run  fast,   sometimes    suddenly  

stopped   and  hezitate.   to  go.

    I  wondered  why.  but   He  waited   for  the  guide  and 

 his  horse.   He   wanted   to  be  with  his  group .  ,

to  go   through   another   Azraga herd.     

     I  think our riding   horse   has  to  obey  us,   but  

   It  is   sometimes   needed  to    consider   about   his  sensiotivity.



24日午後  


 山の中から、広い所にうつって快調。 ただ、はしりやすい場所なのに馬が時々、

極度に速度を落とす?    気付くと、前方に馬群がいるとき、だった。 

 モンゴルの家畜は、牧場に飼われているわけではない。群単位で大草原でのんびり草を食っている。用がある時は飼い主が集めに行くのである。何処かわからなくなって走り回ってさがすときもある。

 とくに馬は、オスはボス馬候補以外全て去勢されている。 ボス馬(スタリオン)がひきいる、妻子と去勢された息子たちの、警戒心の強い群れ。



 ライジング!は、よそのボス馬のそばをひとりでとおりたくないのであろう。うしろのガイド氏とその馬、すなわち現在の自分の群をまっているのだ。 牛や羊はともかく、馬群のそばを通るのは少し注意が必要だ。大きく回避できるルートがなければ、馬の様子も見て、 自分の馬を守るのは自分。馬を落ち着かせてあげて、ゆっくり通過しよう。



 馬を含めて家畜の群れは、人や人の乗った馬が近づくと 進行方向にすすむ。 後ろから追う形で群れを移動させられるので、 群れの管理はこれを利用して行う。 ただ馬群は、こちらも乗っているのが馬だし、他の家畜に比べて反発心が強いようだ。

 馬がいやがるときは原因を考えてから対応する。馬のわがままを、むやみにみとめるのはまずいと思うんだが...体調や心理はちゃんとみてあげられなければ、と思う。環境や状況については、彼等の方が知識も経験もあるんだから。


3日目 25日


 べつのおっさんくる。 ナチェガー氏。

彼の馬はちょっと見事な、体格も、毛色も見事な配色の美しい馬だった。気も強そうだ。

私の馬は昨日と同じライジング号。











 がナチェガー氏、ひきづなを、しかもえらく短く、もったままはなそうとしない。 ひきづなべったりなど、子供の客か、超初心者の場合最初30分くらいとか、馬の機嫌が異常に悪いとかぐらいで、普通ない。


 「しばらくわたしの乗り方を見る」 とかのつもりかと、しばらくがまんしたが、 断固としてずっとひきづなをにぎったままのつもりのようだ。


 しかも、いちど、長くしてくれようとして、馬にもつれさせて馬を暴れさせたw。 私の馬は自分でなんとか抑えたが、彼が自分の馬の方をおさえるのにてこずり、まきこまれそうに。やはりけっこう気が強い、けどガイドが自分の馬に振り回されてちゃダメだろW   これは、反省したのか次の日は別の馬できた。 


 

 どうもおそらく、先日のテメーさんとのエピソードを、中途半端にうわさに聞いて「絶対引き綱必要」とだけインプリントした、と言う経過でもあったのかな? まあ、通訳を頼まなかったし、ある程度手違いの被害はしょうがない。 彼はちゃんと情報収集をし、自分の馬の性格も加味して適切なガイドに努めた、といえる。

 でも、ナチェガーさんの馬、乗りたかったなあ... 引き馬でも、背中に乗るだけでもいんだけど... つうか、本当は「私ならのれる!!」とおもってる。

 なんとか通訳をいれて話し合って 「ずっと引き綱」  なんて初心者子供でも普通やらないし、はなしにならん、乗馬ガイドとして認めない。と伝えた。


ナチェガー氏、私の馬もつれてかえってしまう。



25日午後 馬こず


26日 午前


ナチェガー氏くる。

頑迷にもまた、引き綱しようとしたので。今回は断じてやめさせた。 その後はテメー氏やガイドくんと同じようにちゃんとついてきてくれ、景色のいい山の中をガイドしてくれる。


とちゅう、山の中で道が悪く、倒木などのおおい場所のみ引き綱を所長するので、理にはかなってると思い、いちおうまかせたが、




崖と引き綱


 私の理論だが、「引き綱は危険」ということを、モンゴルのみならず世界中の乗馬ガイド諸氏に是非認識してもらいたい。 と思う。


 特に坂道などで引き綱するのは、ほとんど心中自殺の強要だと思う。 馬は、あごをひっぱられ、ただでさえ悪い足元を見れない。体のバランスも悪いまま綱渡りのような崖下りをさせられる。 乗り手ももちろん、ころんだら足元が見えず馬とガイドの馬と、絡んだロープで転倒にまきこまれて、つぶされて崖をころがるのである。アーメン。


....まあ、引っ張られながら、そうなる場面しか浮かばないのだが。



 なぜ遊牧民はなにかというと綱をつけたがるのだろう? つけたら安全と思う理由が私にはわからない。

 彼らは、まだ馬をコントロールできない子供をまもるため、よく引き綱をつかうのだろうが、「馬にうまくのれない」= 「ちいさな子供である」という潜在意識に支配されているのでは...? と疑っている。 



 子供は体がちいさく体が柔らかい。振れ幅も少ない、鞍にしっかりしがみついていればそうそうにおちない、おちても体がちいさく軽いためダメージがすくない。

 なにより子供ならば、事故っても屈強な牧民の力で守れるだろう。しかしこれと、体重が重く、ついでに関節の硬い、不安定なおとなとは全く違うというあきらかな事実を、ぜひきちんと把握してほしい。大人は、馬に振られる幅と重量が、こどもとは桁はずれに違う。


 崖など足元がわるいなら、よけい馬と馬はきっぱり離して、ゆっくり、降りさせるべきではないか?。

 もしそれも危険だと判断するなら、 ガイドが降りて歩いてハミをとって行くか、いっそ客を馬から下ろして徒歩で下るべきだ。

 


 「引き綱」は事故を誘発する罠である。絶対に。


 実は、10数年前にさいしょにモンゴルに来た時、すぐ引き綱=事故 の体験をし、以来拒否しつづけてます。今回だってしっかりした大人遊牧民に暴走されたし。まあ今は、すくなくともろくに馬に乗れない学生ガイドとか、状況判断のできない牧民の子供に引き馬(引く方)をさせるようなことは、なくなっただろうとおもいますが。



Lead  rope  is  dangerous.  


I  am  sure, using   lead  rope  to  bigginer   riders    is

dangerous   especially   on  bad   ground  and  slopes. 

  the  guest  rider's horse's  chin   and  eyes  shoud  be  up.

he  cannot  see  the  ground  ,  ...,、......、

  Yes  sometimes,   experienced  powerful,   horseman  

could  help  a  small  child , from  falling,   but   a  

grounup  man  ,10  times  in  weight, 5times  in height,  is 

 different  ,   I  can  just  imazine   ,  falling down  the 

 slope  under  2  horses  bodies   with  the  lope  around 

 their  legs.


And  generally,   pulling  lope  just   confuse  the  horse  and 

 meke  ignore   his  rider.

its  would  be  nothing  as  bigginer's   trainnig,  of   

control  horse,   I  think.




よき観光馬 "ライジング"


 さて、我がライジング!は山中でその真価を?発揮しまくる。

 「やる気」があるのはいいが、下り坂道だと極端にしりごみする。一度など、ちょっと急ではあるが 観光コース内の坂で、怒鳴りつけて強いるまで降りようとしなかった。

山の中になるほど、ゆるい下り坂でもソロソロ歩きで、ちょっとでも登りになると「ががが!!   」     なのには笑った。


 まあ、安全走行なのだし、走るべき時は走ってくれるので、よしとしよう。彼は、長年観光ライドに付き合わされて、こうした走り方を会得した馬なのだと思う。馬にも個性があり、心があり、自分の性格や立場と付き合って生きる、そういう知性がある、と思う。


 だがこの三日後、彼との付き合いの後半、別の本性を見た。

             Rizing!!                 

    He  loves   to  run,     but   he  had  to  be    with    bigginer-  

sightseeing  riders  .

    You  may  know,   for  biggner  riders,   the   canter   and  gallop  

  shoud  be   toweard  UPhill     (cause  to  stop  is  easy)

   So  he  may  have  selected  

   "slow   on  downhill   and    gogogo  @  uphill"        running.

 


       I  think   horses   have  their  life  ,  consider   curcumstanse,  

 and   make  selection   .  like   human   does.






26午後、27日午前午後 


ナチェガー氏のガイドでほぼおなじ。


  いや、いまさらになるが、「やすませてくれ〜」て何度頼んでも止まってくれなかったんです彼。コース選択とかは慣れたガイドのように見えたのに..ふつう2時間のトレッキングで間10分-20分程度は、休憩します。これは、日本でもオーストラリアでも、洋の東西を問わず大体おなじ。 休憩すると帰るのが遅くなると思ってたのたなあ... しょうがないので勝手に降りてストレッチして水飲んだけど ...休憩した方が早く帰れるよ、>ナチェガー君。



28日朝


 この日より3泊4に日のテントツアーに参加することになった。上級者含む近郊一回り7人グループになるそう。初心者中心のグループとしかトレッキングしたことなくて、いつもためいきをつきながら歩いてた。期待している。 朝、ナチェガー氏むかえにきて、20分ほど走ったあと、丘の連なる頂上で20人前後の一段と遭遇。ナチェガー氏綱を解いて、「ばいばーい」。   そこからグループに合流したらしい。

 この時の集団は、テントツアーメンバーと、プラス、まったく初めてのの初心者2.3人と合同グループだったらしい。 しばらくはゆっくりといかなければならないようだ。


 いままでとちがい、グループについていかねばならないわけだが..他の馬が、ちょっとでも早足するとライジング君はしりはじめ、すぐリーダーの人を追い越して暴走、暴走、また暴走。 


 

 他の馬は、基本並足か軽い早足で、ときどき遅い馬にガイド助手たちがが後ろから鞭を入れて追っている。なので突然加速することがあるが、 しかし前に追いついたらすぐ止まるようだ。しかしライジング君は、目の前は走りやすい大草原、走り出したら止まらない。 いままで好きに.....もとい、馬の気持ちを尊重して走らせてきたもんだから...


 なんというか、焦っていて、一人で走っている時より、「前進圧がつよい」という感じ;;  駆け足でも前は適度なスピードで走っていて、とまってほしければすぐ止まったが、今は走り始めるとパチンコから弾かれたようにがんがん加速するんだ。


 ガイドについて行くのは自分の意志でコントロールできるが... 群れの動きに巻き込まれず自然について行くのはむずかしい...がこの4日間の結論である.。


 最初、馬の自然なグループとの付き合いに任せて、ペースは馬に作ってもらい、ただ、「先頭のリーダーを認め、絶対追い越さない」という方針だけでいってもらおう、と決めた。



 のちほど、これはぜんぜんまちがい、だったと結論したが..

 群れの動きへの対応、速度は完全に乗り手が調節すべき、群れからは少し離れて走り、群れの動きにいっさいふりまわされないように征くべき、と結論した。乗り手の性格にも左右されるが、少なくとも私が乗る時はそれがいいだろう。 でも、「ちゃんとすぐうしろからついてきてください」ていわれるんだよね。あとになって私がガイドさんたちに、「後ろからあおるな!!」ととうとう怒鳴るに及び、(きがつかなかったが、ライジング!にまでやっていたらしい。暴走しがちなのは見ていたと思うんだが...)、諦めたようだけど...










ナライハ乗馬修行さいご。



 あんまり好きではないのだが.........

馬のストレスがたまってしまっているので、暴走になりそうで、群れと距離あけても走れなかった....。走り始めるとすぐ暴走っぽい走りに移行。 なので、手綱を一歩一歩ずつ

引き・放し して、「早めの早足でずっと抑えたまま走る。駆け足に自然に移行させない」 方法をとってみた。 自分も馬もすごくつかれるが.... 少なくとも安定させられる。 「自分の走りたい速度」でなく、「行きすぎないための抑えた走りを継続」なんだけど。  



 けっきょくさいご、 "帰宅ラッシュ"でごくすなおに必要なだけ走ってくれたけど...

ライジング君疲れてたんだと思う.....。



今回のテントツアー結論


 ライジング号に関しては、もともと走りたがりの馬が、安全重視だが不安定な指示をする観光客相手に長年付き合って自分なりの速度配分を身に付けたのに、

 私が「草原を思い切り走れる!!」になれさせてしまったがために、後半のグループ走行で走りすぎて、暴走しがちになってしまった..のだと思う。

 抑えた走りのストレスと、前の馬を追い越したり、掛け合いして走る群れ動物である馬の本能がでたのだろう。

 くりかえしになるが、馬にも心があり、自分の性格や立場と付き合って生きる、そういう知性がある、と思う。あのあと、困った馬になってしまったかも.....ツオクトさん(馬主)、ごめん。


でも、彼には次回も乗りたいと思う。  自分と似てるとおもうので...。


 群れでも、(私の場合は)速度のコントロールは乗り手がきちんとすべき。 群れに左右されないように最初から少し話して、速度は自分で決める。

 今回、馬に任せようとしたり、 結局先頭を追い越すのをとめてひきかえしてなんども最後列にまわったり、ついて行く相手をかえたり、 方針が安定しないのは 馬にもツアースタッフにも分かりにくくて迷惑であったと思う。


 でも、遊牧民さんたち、観光客は小さいこどもじゃないし、家畜の上に乗った荷物でもないですよー?

    あなたと同じ人間の大人で、馬を自分の意志と心で動かしている馬の主人です。よろしく!!




鞭について


 鞭のつかいかたを習おうと思ったが


..結論から言うと今回も、 鞭の使い方はならわなかった。世界中で馬乗りがつかっているものなのだしマスターすべきと思うのだが...


 「馬なんて怒鳴ればいうことをきく。鞭より気合い一発!!」ていうかw馬の動きが不安定になりやすい時に、片手離して後ろをぺちぺちってよけい怖いんですが.......適切な指示をし馬の動きを予想して待機しながら、鞭にも集中してきちんと叩くって結構難しい......。

 

 「うまく走ってもらえる時は鞭なしでOKで、だめなときは鞭なんかでうってもよけいだめなんじゃないか?」というのが現在までの感想である....。




 

「角」にいつでもしがみつけるようにしていたい私である。 


 「角」(ウエスタン鞍の前部についてる、突起。本来バッファローを捉える時ロープを固定するもの。だが初心者が捕まるようにハンドル状のものが付けられていることが多い。正式な馬具ではないらしい(笑)ので正式名称がないので これもとりあえず角と呼ぶ。)  もともと、子供だろうと慣れなかろうと乗らなければ生きていけなかったウエスタン馬具ののもうひとつの重要な用途でもあるとおもうんだけどね。

 

 角は、今もちゃんと実在するカウボーイと、ウエスタン趣味の人々のお陰でいきのこっているけど、馬具はなぜか愚かな理由で廃される・採用されない場合が多いと思う。


 "パルティアン・ショット"で有名な古代の騎馬国家、バルティアはそれで滅びた。




*和鞍やモンゴル鞍には、体を支えるのにちょうどいい場所にもともと前板がある。





**乗馬と燕尾服***


ひだりうえ-鞍前部 ツノに引っかかる
左中-背当てにひっかかる



 (羊の群れじゃないんだよねw    まとめればいいってもんじゃないよ〜。)

ガイドさんって、「追っている家畜の群れに客(荷物)が乗っている」くらいの気持ちなのかも、しれないなあ???.....



初心者の方は、「ひっかかる」というのは 「鞍の上に留めてくれるから安全、と思いがちだが、 「完全に逆」なのでご注意。

 馬は人間のように急なアンバランスを理解できません。引っかかってコントロールできないままパニックになって大暴れとなります。 こうなるとプロのライダーでも危険です。引っかかるよりは、素直に落馬したほうがいいのです。***********


伝統的な乗馬向きデザイン

















8/2日ー7日


ウランバートルから300km、ゴビのてまえ乾いた草原、今回の旅をたすけてくださった

姉妹のご親戚、 レース馬を生産しているというB氏の家にたどりつく。



 

 ただ、B氏の馬はレース馬志向の飼養なので、素人に安全に乗れるような馬がほとんどいない そうなのだ゜?  それで苦労もあったのだが、この件はのちに書こう。


 私は「普通の馬なら別にガイドしてくれなくても一人で乗れます」スタンスだったのだが、やはり観光用の馬とも、通常の遊牧家庭で日常使われている馬とも違うので、能力のわからない素人をひとりでは乗せられない、という。    

B氏の後継ぎ、末男子のE君がつきそってくれた。



 馬は彼の「彼女の馬」らしい。B家の馬群の馬だったが、彼女にプレゼントしたのだと言う。それって、婚約者か?E君はまだ15歳と聞いたが...  この馬は..。-「恋人」号としよう。(せん馬なのでオスだけど) 唯一おとなしく、「人間が好き、人なつこい」という。


 ただそれでも、観光用に調教された馬と違い、 ずっと首をぶるぶる動かしていた。同行したE君の馬もおなじだったのだが- ごくふつうの動きだが、観光用に限らず、人が乗ってまでこの動きを続ける馬は初めてだ。ともあれ、じゃっかんの居心地の悪さはあるものの、指示すればすなおにしたがってくれるし、ライジング号のように突進しすぎると言うこともない。(その点ちょっと物足りなかったがw) ひじょうにのりやすいいい馬だった。方


 そして、B氏の馬群では弱い方なのかもしれないが「ふつうより強い」と感じた。

 ナライハでのったツオクト氏の馬もつよいが、 それは基礎体力の強さ、素人の観光客が雑な乗り方をしても潰れないような耐久力である、「恋人」号は力が強いのだ。とくに後肢の蹴る力が強く感じる。割と体重の重い 私を乗せても、一歩一歩のストロークが大きく、動きが大きく軽いのだ。レースに使う血統、なにかがふつうの馬とは少しちがうのだろう。

 暴走はしない恋人号だったが、E君安全重視かと思いきゃ、とにかくなにかと「鞭で叩け!走れ!!)と進めるのだ。しかし何せこっちの乗馬力と、あぶみが...ほとんど立てないほど長いまま(彼女、足長いのかな)..だった、「このままでいいです」といったのだが、 後悔
 動きの大きさについていけなくて止めようとすると... E君、サッとというか、「さっ、くるっ」とどう動いたかよくわからない忍者的な動き-で、前に回った。そして目を-ていうか馬の目をみて、ハミ(馬の口に噛ませる金具)にさわりも、たづなに触れさえせず.....ただ見ただけ、 それも、威圧するわけでも指示するでもなく、「?」「どうしたんだ? とにかくとまれ」という感じ。  そして馬は、止まった。


 この感じは、ナライハの遊牧民ツアーカンパニー社長、ツオクト氏にも感じたことがある。  

横に並んで走っていたときのことだが、

私は「後ろから鞭で追ったり、煽るのはやめてくれ。というと...   

 いきなりの加速はなかったが、妙に馬がツオクト氏に合わせている気がして観察すると、彼が「馬の目を見て指示している」のがわかった。 というか、そのように感じた。人間の「群れ」でも、サッカーやバスケ、気心の知れた者の動きでは、声やあらかじめ打ち合わせた合図などなくても、目配せで指示をおくったり、受けたりすることはあるのではないかと思う。人間と馬合同のチームでも、それはおなじなのでは、 ないかとおもったのだ。



で....

Telepathy;




テレパシーについて。


E君にも教えたい「テレパシー走法」


「ぶれない眼差し❤️断固たる意志と希望が世界と馬と人を導く」


 さすが「レース馬創りのあとつぎ」とおもわせるE君だったが、慎重に、気をつけてというわりにすぐ「はい、鞭つかって!!お尻叩いて!!」ばっかりいう。

あぶみに立って! と(最初からまっすぐ立ってる。あぶみがながすぎてるのをわかってくれない...) まだ走る気ないのに..  初心者教える時ははしるのは上り坂でだよ〜;;

鞭については記述した。



 他、記述の記事にも含まれるが、「馬は人の心を読み取れる天才動物」であるということについて。

 いや、マジです。本当にそう思っています。


<検証その1>

 私がそう思った最初は、モンゴル渡航3回目。前年偶然知り合ったガイドさんにたまたまあって直接申し込んだ3泊のツアー中 。  豪雨のためと、他に色々いろいろあって^^ ガイドその2はウォッカ徹夜で飲んで撃沈、ガイドその1-通訳ガイドだが、その当時にはめずらしく、遊牧民並みの馬の扱いができた。の襟首を捕まえて叩き起こし雨のやんだ草原を出発。 ガイドその2のかわりに 友達の家の14才の娘さんが案内してくれた。2泊のツアー、ほとんど移動しないまま、残り時間はあまりない。 


 時間や体力などを考慮し、少し山に入ったところの 小さな祠を目的地にする、とのことだ。 雨がちで草原の道は珍しい水溜りで寸断。いつもは嫌いだが、 後ろから馬をお煽ってもらい走る。

 木はほとんどないが、すべる草と岩がちの上り坂、大きな水溜り、やはり回避しないと...しかしこの速度でいちいち手綱で....指示?無理、まにあわない!  どうしようもなくとにかく自分が走ってて避けてるつもりで体を動かした。  すると馬がまるで自分の足ででもあるように飛び回ってくれたんだ。前の地面を見ながら、「左のここが浅いからここを踏んで右に飛んで...」という感じで、体を動かしただけ。



 この話を乗馬熟練者にすると、

「そ、それはたまたま、正しい指示を出してたんですよきっと^^」といわれるが..

そうかもしれない、とおもっていたが、今は違う、とおもっている。


  馬は、乗り手がはっきりとコースをイメージすればその通りに走ってくれるものなのだ。例えば行手に牛の群れがいて、「真ん中に突っ込むのをさけておおきく左回りで道に戻って..」というふうに。とりわけ、馬の経験にあるようなコース取りは、合意が早い。


    走りたければ、「あの丘のむこうまで、飛んで行きたい!」と念じて「はっつ!」とか「うをを!!!」とさけべばいいのである。 鞭なんか必要ない。


いやほんと。





「だから、そのときちゃんと足や体で正しい指示を...」

違うです。 この、「テレパシー」は、馬に乗ってなくても、効くんだから。


<検証その2>


 その数年後、オーストラリア。 冒険家でホースアーチェリーとドレッサージの教師、ジョン・D氏の家にホームステイさせていただき、ドレッサージの大会を見学に。 氏の2頭の馬を「フロート」と呼ばれる馬運カートにのせて行く。角の丸っこい、横巾の狭いコンテナ。左右に2頭はいる。

  馬たちは慣れているのか、のんびり外を眺めたりしているようだ。「彼らはやっぱり、私みたいに景色を楽しんだりしてる?」D氏「そうだと思うよ!」個人でも普通に所有しているものらしい。彼の国の乗馬文化の厚さに感じ入る。


 会場に到着、 大会スタートまで時間はあるが、氏も奥様も生徒たちの世話に忙しい。私が馬たちの散歩をおおせつかった。 馬も2数時間車に乗って緊張、競技前であるので馬房でじっと固まっているよりいいのだろう。

 2頭の馬のたづなをもってのんびり、 あまりひろくないが馬房内の中庭を歩く。 あとできくと、2頭いっしょに引くというのは危険と言えるくらい高等技術らしいのだが... ??     いつものようにひくだけだ。 とおおもったが2頭となると確かにまとめにくい。

 馬を引くときの私のコツは、普通牧場では「よこにたって馬の目を見て!」などといわれるのでそのとおりするが、指示のない時は馬には完全に背中を見せ1メートル以上離れる。 顔色を窺ったりしない。 曳いて、ついてこなければ肩にロープを回して腰を

入れても断固引く。人間は馬の主人なのだ。断固とした意志を示せばついてくる。

信ずるものは救われる。


 2頭だと断固引くはソフト目にやって、ゆっくりすすむとごたつく。 なので引き綱をながめにもって背中を見せ、「あのひだりの角の、木の外側を回り、右の雑草の茂みのあるところで草を食べさせてあげる(D氏許可済み)」と強固にイメトレをすると、ごたつきがいっさいなくなって、適度な距離をあけて私の歩調に合わせてついてくる。

 私は手綱をゆるく持ってあるいただけで、いわゆる「扶助」はいっさいしていない。


 

 だから、馬にはテレパシー能力があるんです。

たくさんの名乗馬選手や騎手やプロのホースマンもたぶん、意識せずそのテレパシーをつかっている。そう思っている。  

 でなければ馬での仕事なんてもっとしんどいのではないでしょうか?




 実は、間に嵐の夜があり、翌朝 恋人号は行方不明に。 帰ってきた時首筋に怪我をしていたのだが....   原因は不明だが10-20センチの傷が2ヶ所、立髪の中に見えない傷。 蝿がうじゃうじゃとたかり続け痛々しい。おそらく他の馬に噛まれた、とのこと。   他の馬でもいいといったが、危険で無理ということ。 薬を塗って一晩様子を見た恋人号にのせてもらうことになった。 .....。


 B氏は「いままでこんなことなかったのに あの日本人が...?」とうたがっていたらしい。 私が乗っているときそんな事故ももちろんわざと飲茶ももちろんしていないし、反論した。 E君がずっといっしょだったので説明してくれたと思う。  が....  しかし、ひょっとしてやはり私が原因だったのでは?     

 私は水の違いで下痢になった。この大地と大阪の引きこもりでは、水も匂いも全く違うだろう。「変な匂いがついていた」ために仲間の馬に警戒されたのではないか? 乾いたとちだが、昨夜のような暴風・雷雨もときどきは、あるということだった。だがやはり、めったにはないだろう。馬群もナーバスになっていたのでは、と思う。 




 さて、恋人号感知はしていなかったが、少しマシになったようで、E君は先日より遠出をして牛の群れを追わせてくれた。

 私が鞭をろくに使えないが、丘の手前から馬を走らせられることも、わかってくれたようで、 1時間ほどのあと、「もうガイド必要ないだろう、ひとりでいったら? と馬をまかせてくれたのだ。」 15歳くらいとはいえ彼はレース馬の騎手。 その彼が私は一人で乗れる、と認めてくれたのだよ。 ふふふ。 


だって私はこれだもんね、↓






Telepathy


A  horse  is  a  genius  animal   who  ca  read   human  will.



<evidence  1>

several  year's  ago,  its  rare,  but  after  heavy  rain in  Mongolia,  

 mountain,   uphill  rough  road.   We  had to  be  hurry  having   no  time .  

 Usually  I  dont  like  it,  but  asked  to  whip  my  horse.   

    I  had  to  jump frequently  because  of  water and  rocks   on  the  way.  

  "I  have  to avoid  water,  mud  rock     in  this  speed, "   

In   panic,    I  just  moved  like  I  was  running  on  foot.    

"avoid  deep  water  on  the  right..  jump  to..."

  Then,  The  hoese  jumped   ,  as  I  imazined   ,  like  he  was  my  legs.



professinal  equeterians  say   "So   you  might have made  right  commands " 

Nope.




<evidence  2>

In  Australlia ,  (thank  you  for  kindness  Mr.  D!!)  an   convention  
 field,    I  lead   

2 dresserge  horses  after  several  hours   driving.   to  make  them  relax.   

!st,    2  big  horses  together  was  a  bit  difficult.   

     But  After    just   Imazine   the  course   clear,     Like 

   "To  the  left  corner,  walk  around  the  tree  ,  then,  to  the  right  the  grtassy  area ,  make  them  eat....."    

  They  soon  started   to   follw    me..

with   the  rope   grub   very  long,    sluck.   no  tention  was   needed.  




  ◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○


ウランバートルのヘソ出し少女たち
◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○









パワフルなこどもたち


ミアットモンゴル航空の都合で10時のはずが深夜2時ごろの到着に、迎えに来てくれたGさん姉妹(妹)とその娘さんたち!! 

さんきゅー!!


というか女の子でも、男の子でも、なんでそんなに力自慢したがるのよ。?


いや、力が強いのは良いことだよ?   男でも女でも。みんなに自分の能力を見せるのもいいことだとは思うんだけど...@@@ミネラルウォーター4リットルボトルX4     16Kg +他の荷物 13歳の流行のヘソだしコンビジャケット着たきゃしゃな女の子がさ?



このあとも、ずっと幼いテムジン君、前期の4リットルX4と10キロ以上はあるバッグほかをテントに運び続けた.....おかげで、ホームステイ家族に用意したジュースと高級お菓子を、とられ、、、もとい置いてきちゃったよ。





2005年最初の渡航時  スマホもまだ持たない私は、「地球の歩き方」をたよりに、わずかなフリータイムをウランバートルで過ごしたものだ。
今回は、昔なじみの「あづさや」をひきついだゲストハウス、 KHONGOL に4泊ほどした。メインストリート「平和通り」ぞいにある。昔日本人のアルバイトマスターが管理していて、ご飯が無料で食えたところである。 炊飯器と米が置いてあって自由にくっていいのだ。毎日おにぎりつくってでかけてた女の子もいた。(このサービスは今はない。;;)



昔に比べて綺麗に舗装された歩道には、露店がおおい。果物がめだつ。飲み物や雑貨、ほかや中古服、キオスク的なものとアメ村的なもの、 そして今は立派な「コンビニ」CU がある。("see  you"らしい)品揃えは日本と似たようなもの。値段は日本のと同じくらいの感じだから、高めだろう。 
 今回めだつのはソフトクリーム屋台だ!。 
 飲み物頼んでも氷入ってないし。豊かで、田舎の遊牧民でも冷蔵庫もっている家もある今になっても、暑い国だけどそれほど冷たいものに対する欲求がないのかな? 草原でも熱々のスーテーツァイ(塩味の牛乳茶)を喜ぶし、とおもってたんだが..



甘いものは苦手なんですが、ソフトクリームは好きだし、モンゴルの牛乳は乳糖が多く、アイスクリーム名物 ときいてた。なんで、..勇気を出して買ってみた...
が...
〜お百姓さんごめんなさい〜  半分捨てました(😭)。 なんだろう、このときは後述の腹下しも治ってたんだけど...  すいません甘味は苦手で、あますぎるのかどうかさえわからなかったんだが とにかく、まずいとも思わなかったのに気分が悪くなった。
もとより日本のソフトクリームとは成分も違うんだろうが...


 北海道やモンゴル、ロシアではさとうだいこん(ビーツ)てのを産すると聞くが.. 日本の砂糖は、たぶん南方でとれるさとうきびだと思う。
 これは、野菜としてもおいしい!!  薄切りしてサラダにも、 じつくりにこむと甘いがさらったとしたお惣菜-デザート?-になる。 このあと記す私の草原料理の、数少ない成功作品だ。






メルクーリザハのあったあたりに
たっていた豪華ビルの地下に
ダイソー出現w


「メルクーリ・ザハとよばれる市場が市内の中央あたりにあった。
当時、モンゴルの物価で、食糧品や快活必需品の価格は、当時のレートで
日本の1/10ほどだったと思う。
 このマーケットは不思議な構造で、まんなかしきりがあって、通路で行き来できたが、もう片側は ブンブクル・ザハとよばれていたが、設置がスーパーか、ボックスショップかというだけで、同じようなものを売っていた。 実際、まったくおなじそうめんを売っていたが、値段は、3倍以上。ミネラルウォーターなど同じ商品が他にもあったが、ブンブクルでは数倍の値段。 ただ、高級な服など、生活とは呼べないものの売り場もあり、それらの値段は日本の1/3くらいだったと思う。なぜあれが経営を続けられていたのか...しかし、こういった二重経済は、     当時いわゆる「発展途上国」にはめずらしくなかったのかもしれない。

デパート前 アジア風料理カフェで。
中身の濃いサラダとビール。¥600くらい。





 ザハにいく戦闘服  
 特に大きなザハ-ここでは、昔ながらの「市場」売り場が多数あって、全体が露天のものもある。こういった場所では、スリだけでなく、構内でストリートギャングにとりかこまれたり 強盗にあうこともある。最近はセキュリティも上がったとは思うが。 あまり高そうな服を着ない、ということもあるが、「金目のもの持ってきてません、ほら、お金入れる場所ないでしょ?」アピールが大事。質素な服でも 「大事なものをいれてます」なウエストポーチや、ポケットのおおいジャケットなどもNG> アーミー風のポケットたくさんのベストを着た高身長のがっしりした男性が、ザハで、ストリートチルドレンに取り囲まれて強盗された、ということもあった。
 ただ、むしろ「女性より 男の方が狙われる」とのことだ。理由は、「女性は、お金を持たされていない」ためだそうで...というより、
 「金目的で女性を襲うのは道徳に反する」というような仁義?があるんじゃ、と思うんだが....どうだろうか。
(なお、とくに若い女性はちゃんと襲われて危険。)



1.最低限の現金などは胸ポケット、2.シャツはズボンから出してポケットをかくす、 3.ほかのものはズボンの見えないポケット、シャツのなかなど。 4.バッグ類はたすきがけ。

 安全100パーセントを期しては、なにひとつできない。夜でかけるときは、周りの様子をさぐりつつ、「女性の一人歩きがあるか?」で外出を決めた。 10時過ぎでも、結構いる。あとは、キョロキョロしないことだ。道がわからなくなったら悠然とその辺に座り込み、スマホをのぞく。


 いま、ヘソだしが世界的に流行ってると聞くが、
確かに何度も見た。ブラのうえに普通のジャケットを着て前を開けてるだけかと思ったがジャケットごとヘソだしデザインで、背中も開いてるんだねw 生地が少ないのに高いらしい。 いや、日本では大阪市内だが地味ーな住宅街に生息してまして、ダウンタウンにはほとんどでないんで..おしゃれに疎いもので。宿のゲストハウスは首都の繁華街、私の○X区□◎2丁目よりずっとおしゃれだといえる。たまにミナミの夜などに出てるが、10年前から見飽きてて、あまりかわりない感じがして 寂しくてしようがない。20年前ごろまでは数年ごとにヘンなものがでてきて楽しかったのだが..。ロングスカートが最近の流行りらしいし、大人の女性がロングで外を歩くのがひさかたぶりで珍しかったが、デザインはべつにめあたらしいものではない。

 いまでは街では見れないフリルだらけの少女たち、40年前のヘソだし、 「コスプレ」「わかってます。この格好は非常識で、私はダメな人です。」or「いまはお祭りだから。理由がなければこんな格好しませんよ!!」
 なにか理由をつけないと好きな服も着れない。
いつのまに日本はこんな人形国になったんだろう。

ファッションなんか生み出せるわけないな。
知らんけど。



 こっちの方がフレッシュだ。
13-4才の女の子たちの方がぞってきてたのはたまたまかな? 夏は暑いし、現行習慣的にも、肌を出すのに日本より抵抗がすくないように思う。若いお母さんたちは、街角やたくさん客のいる家で、よく母乳を赤ちゃんにあげていた。アラウンド◎○の私でも中学生の時はすでに抵抗があった、(都会人なもので...) 懐かしい光景だけど..




 コミックイベント主催者たちよ、服装規制までやめたらどうです。?   会場外でどんな服着ようが口出しすべきだと本気で思うんですか? 
 昔モンゴルの友人が親戚の挨拶の帰りに支援者の方と私のブースに寄ってくれた時、
 「そのかっこ!コスプレ許可もらってるの?」と批判されかけた時は焦った。親戚の式の帰りで正装できてくれた。絶対侮辱なんかしないでくれ、と強気にでた。 わかってもらってよかったよ。  

 正装だろうがなんだろうが人を服装で見下すの自体おそろしく非文化的だと思う。日本よ、人類よ、はやくこんな状態から卒業してほしい...。








モンゴル生活記-   「ゴビー炎の伝説」








 皆さんも、聞いたことはないだろうか? 「牛のフンを燃料にする」と。

旅行記などでは見るが、モンゴル旅行数回、ホームステイも3回した私でも、じっさいにこれを燃料に使っているのは見たことがなかった。 例外は牛ではなく馬のフンに火をつけて煙を出すのだが、これは虫除けのためだ。首都から数百キロはなれた地方で、木などない地方でも、おそらく数ヶ月に一回どここから買うのであろう、直径数十センチ、長さおそらく5メートル以上におよぶ大きな丸太を、これまた巨大なコギリの刃 -刃だけ- を夫婦で持って、夕陽の中で、毎晩の燃料を切り出していた。


牛の糞は、いくらでもあるのに...





 さて、ちょいと手間取って、ナライハのT氏宅についたのは23日午後。



 T家到着。たまたまにキャンピングのプロにテント設営してもらうことができ楽勝♪まあそれでも、あいさつ、荷ほどきでおわり、テントサイトを使いやすくカッコよく...は次の日にまわり、着替えを優先してブーツを履いて、乗馬のお迎えを待った。






2つのスキーバッグ-これは。一つはこれまで海外旅行に
ずっと付き合ってくれたもの。満杯で20kg以上あっても、
指一本で引っ張れるんだよ。 もう20年も前から、
破れたり変色してて、同じようなのを探して、
似たようなのは買ったが、すぐ分解した。 
それが、30年の時を経て近所のリサイクル屋で
双子を発見したのだ。今回、モンゴル航空に1万円払う
覚悟で
2つ携行。(帰国の時は重さ変わらんのに
半額だった。空港でちがうらしい。)

馬は来なかったw
















 モンゴルで初めて調理。    なんとか、わが「ストーブ」火おこしには有能な小型の筒ほかの最低限の道具をバッグから引っ張り出し、 ウランバートルで買った、モンゴル家庭でも使えそうな小さいが本物のストーブ。を設置。 













 





いろいろ不自由とはいえ、ストーブや道具は合理的にまとめてもってきたし、

設置もなやむほどのことはなく、すぐに火おこし。

 だが... マッチがまったく用をなさなかったw。 まきに着火できないんでなく、そもそも全く火がつかないのだ。ウランはバートル郊外の大型ザハの仏具屋で買った普通のマッチだが、ハズレを引いたようだ。 疑問なくおなじやつをたくさん買ってたので全滅w


 他のものでも言えると思いますが作動保証、検証のないものは、可能なら

数種類・別商品を購入すべき、ですね...

ライター買っといてよかった...。


 なんとか着火。まずコーヒーのみたいっ! 沸騰に時間かかり、はやめにあげてしまった... いまいち、ぬるいが、まあ、苦労して起こした火で飲むコーヒーは格別。(と思わないと辛いよね^^;)  肉やイモなどを加熱して食べるのは今日は諦め、あとパンとリンゴ、チーズにレバーペースト。などをと、レバーペーストはソーセージみたいな形で密封だが、早く食べないとね。


 チーズは「モンゴルの一番普通のチーズ」ということだが、 なんか、硬いモツァレラチーズのようでおいしそうとおもったのだが、 なんかおなかにひっかかるというか、パサパサして喉を通りにくく、、おいしくなかった。チーズ大好きなのになあ。???    あとでこれは、薄切りしてリンゴと食べるとうまいということがわかった。 でも、料理には向かない...加熱すると溶けずボロボロの味のないカタマリになる...。パンにも、全くなじんでくれない。



 

マキはちまちまと用意できたしいわゆる着火剤もたくさんもってきてある。だがなるべく着火剤なしでつけたい。 かしくなかった。 というか「乾いた細木」が着火剤より火がつきやすいのは経験済みだ。



 この、薪を細く切るというのは意外に大事で、細めでみじかいまきがある程度の量ないと、紙や着火燃料にせっかく日がついても、それを大きい薪や炭を長時間燃焼にはつなげにくいのだ。着火剤になる紙も大事だが、この短いたきぎが薪と炭には最も重要と思う。のちほど牛糞燃料も使ったが、このときも短い薪が貴重だった。現地にはほとんど木はなかったので、もっていった数本と、「割り箸」が活躍した。 罪悪感いっぱいだが、某キャンプ地で話した女性キャンパーも、けっこう使っているとのこと。^^



それでもって、飯炊きをした奮戦記が下記。

https://www.facebook.com/100000389938879/videos/220027973904482/



 わたしは、モンゴルのうどんはうどんとみとめないW。

うどんとおこげご飯について。




一時間たっても湯気が出ず...


いや、このコゲが、うまかったんです。


モンゴルのクロテッドクリーム、「ウルム」と合わせると最高!!


さすが、パラグライダーもたのしむキャンプ師匠北海道M氏のいわれたごとく「気圧」のためかもしれない。 するとだ。

 わたしは、モンゴルのうどんはうどんとみとめないW。

コシがないんだもん。表面ボロボロで、汁で色が変わってしまったようなものばかりだからだ。モンゴル人に言わせれば「スープの味がしっかり染み込んだおいしい麺」らしいが。日本人はそれを「のびた麺」とよぶんですが...








 



 
















 
羊の解体。






...きれいな青い瞳だった。



 



さて上述のごとく、ここいらでは牛糞はあまり使われていないようだ。人口も、木も多いとはいえ、すぐ切り出せるわけでもないナライハやテレルジでも、そうだった。 今回は、一週間、自分もウランバートルで買ったマキでにたきしながら、過ごしたのだが、ホストのT氏宅でステイ中も乾いていそうな牛糞を集めて聞いたんだけど、「こういうんじゃ。まだダメ」といわれつづけて、結局最後まで火をつけるに至らなかった。


 「牛の糞は、冬に湿度が下がって、カラカラになったやつをつかうために、薪の手に入る夏はためておくのかなあ?  そういえば、冬に薪を切るのはむずかしそうだぞ。?  なんせバナナで釘が打てるんだから...(本当)、などとおもっていた。 


しかし。このあと、「牛糞調理」をおもいきり、体験できることになる。




牛糞をふくめ、なかなか香り高い記事になりました。

とりあえず食事しながら読むのは、避けられた方が良いかと思います。

 









 














...ますます匂い立つなあ...香り高いレポート...


 22日 にはじまったホームステイ。 

さて、ステイさせてもらったのは ウランバートル東北の観光地テレルジの手前ナライハ。 乾燥した国だが、やや標高のたかいこの近隣はさすが、森や川もおおい。T氏のゲルはそんな、絵葉書のように手前に川が流れ向いにはポツポツ、やがて森と連なる木々。

 ただ、モンゴルの他の地方にも、テレルジにも何度かきたが、乾燥した国と思っていたが、雨、ときどき暴風雨、時により雷つきに1週間にいちどくらいはあっている計算になる。 運がいいのか、悪いのか。

今年は同時期に日本でも台風通過があり、この山間では、毎晩のように突然の雨になやまされた。もちろん、ちゃんとしたゲル住居はびくともしないが、 

 結論として「テント生活に挑戦!!」は無謀だった。


 3日目くらいから、お腹の調子がわるかった。 用意した食料のうち、肉はお土産にした鶏肉と、行方不明になった干し肉と、ハムと、チーズをたくさん。  あとは乾麺と、こめ、じゃがいもなど野菜。

このなか、チーズ便りの栄養源だったのだがどうも普通と違う。 加熱してもとけないのだ。たべると、味はいいのだが、お腹に非常に重い気がしていた。


  通信もこのとき、だめになっていた。Gさんの妹さんにお世話になってSIMカードを買ったのだが、さんざんトラブった後、つかえないことに。W なんとか、softbankの海外安心契約にもどしてみるとちゃんとつながった。Gさんにチーズのことをきくと、 「水が合わないのでは? 環境が変わるとよくある」 「水?」(Gさんは数か国語を操り、長期に渡り祖国モンゴルや日本、中国などを行き来している)

わたしはもともと鉄の胃袋で、そういう経験はなかったが.飲んでた水は4リットルのちゃんとしたミネラルウォーター。それを6本買ってきていた。(同じやつ)

でもたしかに、水も飲むたびお腹にストレスが溜まる気もする。しかしこれしかなかったのでずっとこれをのんでいた。


    けっきょく、下痢ってずっと治らず、前記の快適なトイレもよごしてしまい。T氏には迷惑をかけた。


     なお、このあと場所をうつって別のミネラルウォーターを飲み始めるとこの下痢はころっとなおった。


    みなさん、長期の滞在予定のためにミネラルウォーターをたくさ買う時は、 一種類買うのでなく、数種類まぜることをおすすめします。w




薪と斧


 さて、ナライハでのホームステイでは ウランバートルのザハで買えず、路傍でたまたま見つけた薪を大量に持って行き、使っていた。 

  このまきも、わたしの小型ストーブにはおおきすぎて、こまかくきらねばなになかったが、 普通の斧は重くてわたしはつかえず、 アマゾンで入手した、下のような「逆さ斧」をつかっていたが......

    T氏の10才と14才の娘さんたち、でかい斧を包丁のように持って、ちょんちょんと でかい薪をわりばしサイズに...w

うーーーーむ 

「情けない」てのはこういうのをいうんだな。きっと。



◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○

ウランバートルの街角にて
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メルクーリザハのあったあたりに
たっていた豪華ビルの地下に
ダイソー出現w


2005年最初の渡航時  スマホもまだ持たない私は、「地球の歩き方」をたよりに、わずかなフリータイムをウランバートルで過ごしたものだ。

「メルクーリ・ザハとよばれる市場が市内の中央あたりにあった。
当時、モンゴルの物価で、食糧品や快活必需品の価格は、当時のレートで
日本の1/10ほどだったと思う。
 このマーケットは不思議な構造で、まんなかしきりがあって、通路で行き来できたが、もう片側は ブンブクル・ザハとよばれていたが、設置がスーパーか、ボックスショップかというだけで、同じようなものを売っていた。 実際、まったくおなじそうめんを売っていたが、値段は、3倍以上。ミネラルウォーターなど同じ商品が他にもあったが、ブンブクルでは数倍の値段。 ただ、高級な服など、生活とは呼べないものの売り場もあり、それらの値段は日本の1/3くらいだったと思う。なぜあれが経営を続けられていたのか...しかし、こういった二重経済は、     当時いわゆる「発展途上国」にはめずらしくなかったのかもしれない。

デパート前 アジア風料理カフェで。
中身の濃いサラダとビール。¥600くらい。





 ザハにいくには、服装などに注意が要る。 あまり高そうな服を着ない、ということもあるが、質素でも「金が入っていそうなポケットやバック」などもNG。ウエストポーチやポケットのおおいジャケットなども。
アーミー風のポケットたくさんのベストを着た高身長のがっしりした男性が、子のザハで、ストリートチルドレンに取り囲まれて強盗された、ということもあった。
 ただ、むしろ女性より 男の方が狙われる、とのことだ。
「女性は、お金を持たされていない」ためだそうで...
というより、「金目的で女性を襲うのは道徳に反する」というような性情があるんじゃ?と思う。

 とにかく、「金ほかはいれる場所がわからない」ような服装にすべき、
1.最低限の現金などは胸ポケット、2.シャツはズボンから出す、 3.ほかのものはズボンの、見えないポケット、あとは服の下に小袋補下げてになかに携帯。必要な時はトイレなどでポケットにいれる。

 7月だが、今年はやや真楽なるのが早かったように思うが、8時ーごろでも明るいし子供もいる。私は、周りの様子をさぐりつつ、「女性の一人歩きがあるか?」で外出を決めた。 10時過ぎでも、結構いる。 安全100パーセントを期しては、身動きできない。あとは、キョロキョロしないことだ。道がわからなくなったら悠然とその辺に座り込み、スマホをのぞく。

 いま、ヘソだしが世界的に流行ってると聞くが、
確かに何度も見た。ブラのうえに普通のジャケットを着て前を開けてるだけかと思ったがジャケットごとヘソだしデザインで、背中も開いてるんだねw 生地が少ないのに高いらしい。 いや、日本では大阪市内の地味ー住宅街に生息してまして、ダウンタウンにはほとんどでないんで..おしゃれに疎いもので。宿のゲストハウスは首都の繁華街、私の○X区南□◎2丁目よりずっとおしゃれだといえる。たまにミナミの夜などに出てくるが、10年前から見飽きてて、あまりかわりない。ロングスカートが最近の流行りらしいし、大人の女性が外を歩くのがひさかたぶりで珍しかったが、デザインは多少工夫はあるがべつにめあたらしいものではない。

 いまではコスプレとしかいわれないフリルだらけの少女たち、40年前のヘソだし、 「コスプレ」「わかってます。この格好は非常識で、私はダメな人です。」or「いまはお祭りだから。理由がなければこんな格好しませんよ!!」 なにか理由をつけないと好きな服も着れない。
いつのまに日本はこんな人形国になったんだろう。

ファッションなんか生み出せるわけないな。

知らんけど。



 こっちの方がフレッシュだ。
13-4才の女の子たちの方がぞってきてたのはたまたまかな? 夏は暑いし、現行習慣的にも、肌を出すのに日本より抵抗がすくないように思う。若いお母さんたちは、街角やたくさん客のいる家で、よく母乳を赤ちゃんにあげていた。アラウンド◎○の私でも中学生の時はすでに抵抗があった、(都会人なもので...) 懐かしい光景だけど..




 コミックイベント主催者たちよ、服装規制までやめたらどうです。?   会場外でどんな服着ようが口出しすべきだと本気で思うんですか? 
 昔モンゴルの友人が親戚の挨拶の帰りに支援者の方とブースに寄ってくれた時、
 「そのかっこ!コスプレ許可もらってるの?」と批判されかけた時は焦った。親戚の式の帰りで正装できてくれた。絶対ケチなんかつけないでくれ、と強気にでた。 わかってもらってよかったよ。  

 正装だろうがなんだろうが人を服装で見下すの自体おそろしく非文化的だと思う。日本よ、はやくこんな状態から卒業してほしい...。



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8/2日ー7日  ゴビのふもと 灼熱の草原にて伝説と対面

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貴重な燃料だが、乳搾り場ほか、いくらでもあるもの、大まかにスコップで
ゲルキャンプのバックヤードに小さな山ができている。
乾燥しているようだがその辺で拾ってもあまりかわらない。
糞の乾いたのなんて、さくさくボロボロしているだろう、とおもったが、意外と硬い。
軽いのに固く、表面がすこしつやつやしているものもあり、丸石のようだ。
さくさくのもあり、これは着火しやすく、おんどもあげやすいが、が、すぐ燃え尽きる。
硬いものほど長持ちするが、
薪の大きいのをうまく興したり、質のいい炭などのようには火を維持できない。
B家のおくさんなどの挙動を見ていればなにかこつがあるか、
おそらく、しっかりちゃっかしたあと、大きいストーブで大量に加熱燃やすことで、
長持ちさせられるんではと思う。
キャンパーのミニ窯では様子を見ながら温度が下がらないよう糞を追加していくしかなかった。



ウランバートルから300km、ゴビのてまえ乾いた草原、今回の旅をたすけてくださった

姉妹のご親戚、 レース馬を生産しているというB氏の家にたどりつく。


「木がまったくない草原」である。


































この熱い草原には、木がない。 なんでこんなところにすんでいるのだろう。
意外だが水は、たまにある泉や枯れ川、 井戸地下水からえていて、  B氏は裕福なためか? 今はエンジン井戸で、たっぷり、私もおいしく飲める綺麗な地下水がたっぷり得られている。



,牛糞しか燃料がないのだ。



しかし買わねばならないんだ。 牛糞がなければ、火がない からである。


は、最も大事な家畜と呼ばれる馬でなく、
牛乳と牛糞にさえられているのだ

他の生き物と違い、ヒトは火がなければ生きていけない。

このバトル氏は 牛をたくさん買っている。家族5-6人にたぶん30-40頭はいるだろう。


牛乳搾りが大変なんだが..こんなにいらない、と思うくらい チーズも
ミルクも肉も人間一人に牛十頭分もこんなにいらないだろう。 だがそれでも飼わないと、


(B氏はレース馬生産者だが、ふつうの牧民にとってもモンゴルでは馬が一番重要な家畜にだそうなんだが...)

この乾いた大地では、 食料も燃料も、牛が人をささえているのだ。




馬タンon 伝説の炎牛糞


"ウルム"調理中

青空だが強風中。シュークリーム型と化した 
移動用組み立てゲル
















⭐️牛糞で麺を茹でてみた、やっぱり、どんなにがんばってもすっきりはしない。「かろうじてコシがすこーしある程度」になる 。


もともと、水の少ない国だ。 基本茹で水は捨て、水であらってシャッキリしめることで成立する日本のような麺の味はそだたなかったろう。と思っていたが、でも、それだけじゃなくて、 モンゴル目と日本の麺のあじわいがちがうのは、この「気圧」のせいもあるのでははないだろうか?



































⭐️牛糞で麺を茹でてみた、やっぱり、どんなにがんばってもすっきりはしない。「かろうじてコシがすこーしある程度」になる 。


もともと、水の少ない国だ。 基本茹で水は捨て、水であらってシャッキリしめることで成立する日本のような麺の味はそだたなかったろう。と思っていたが、でも、それだけじゃなくて、 モンゴル目と日本の麺のあじわいがちがうのは、この「気圧」のせいもあるのでははないだろうか?





ゴミ問題とフードロス  「消費は美徳」か?


♫  おうまの おやこは なかよし こよし ♪♬  ......


早朝。ウランバートルの街角。この歌が(いや、正確には歌詞はついていなかったが)きこえてきたのは数年前のモンゴル渡航時、中心街の裏手にあるゲストハウスである。


小窓を開けて、よくみえなかったが、微かな人声とモーター音、 これは 毎月木おなじみのやつだ!!     「さすがモンゴル... 首都のごみ収集まで馬唄...?」 と感動したものだが..

謎が解けたのは去年。 このメロディは、ツァーの現地スタッフもけっこうなじみで、日本の客にきいて歌詞も知っていたが、「歌詞は無関係」とのこと。 もともと日本の某市でつかわれていたゴミ収集車を、おしらせメロディごと一括導入したらしい^^。

 名古屋近辺かも、しれないなあ.... ? 今、ウランバートルの普通車両の90パーセント以上が多分ト○タだし。 

 ツアーバスが渋滞で、メンバーの半分がキレて「歩きます!!」と出ていったころ、通過した車を指差し..  現在もこのゴミ車は現役らしい!!        ウランバートルは超車両過剰で、市外からはいる車両は、「バックナンバー末尾」と曜日で入管制限されているほどだ。 ナンバー市民がバスを捨てて1.2km歩くのも、毎朝の光景になっているそうだ。

(このときのバスは、運転手さんサイコー♪で結局トヨタの海を縫って先行歩兵部隊を無事回収。)


 〜だから〜馬つかえば....   


モンゴルは近隣遊牧系国家の国際トラブルにまきこまれず、

すごい経済発展ですごいと思うが、 他国の失敗した点までまねているようなのは、どうかと思う。日本や中国のような経済発展に関しては先輩になるは、と思うが、一部大失敗もしてる、 「反面教師」がいるんだから。  余裕のありまくりの大平原国家に20Fマンションたてて 狭い首都で高価なガソリンついやしてどうするんだろう....


「青い餃子」と呼ばれるビルが、中心街に立って久しい。いや、一軒くらいこういうのがあるのは、いいとおもうけど..




 一方で、ちょっと郊外にでれば、なんの仕事もないのに「もっとも重要な家畜」として

無数のタフな馬が、草を食んでいる。






--というか分別処理した私の時間をかえせw


今回は、私自身も、家庭の方でも結構ゴミを出していたと思う。

モンゴルは、豊かになった。

 ウランバートルでは、各所で分別ゴミばこがあった。




 でも、草原の家庭ではさすがにごみ収集はないだろう。しかし、2012年どいなかのウンドゥルジレットの家庭で、奥さんが「ペットボトルとプラはこっちへ」と、専用らしい

中華鍋でプラを燃やしていた。 手元で分別処理しているんだ!! とおもったので

できるだけわけてだそうとしたのだが...

 これはナライハでも南でも同じだったのだが、各家庭でゴミ処理用の場所があり、焼却しているようだ。空き缶もいっしょにすてたが、もえないものは埋めるのだろう。どのゴミも全てここへと...そして、以前と違い、「いらないものは捨てろ捨てろ!といわれまくる。」 人口が少なければこれでもいいが、..



 南では、娘さんたちがピクニックに行って、クリスタルや御影石、琥珀ぽいもの、さまざまなきれいな石を拾ってきていた。 


 「消費は美徳」の時代に罪の意識に揉まれながら、遊牧民の清貧さを尊敬していたが..

いまや、自分達の食糧も自給できない、罪の意識がとうとう政策にまで出てきた追い詰められた国と、国民一人に100頭も家畜がいて飢えようがなく、その地下に、莫大な鉱物資源を抱えている国と...



しかし、観光地域のゴミはこの処理のままであまり続けるのはよくないと思う...













 「トイレット   '07-'23」こんなところで死にたくない私」 


 モンゴルに行く観光客はこう言われる。 「外でトイレする覚悟してください。」 「はひ....」「へ、へーきへーき♪」しかし、日本での釣りとかキャンプでの野○そのイメージで行くとショックをうけることに。

 草原と言っても草は短いです。ひざまである草はほぼない。そして、「草原」ですよ?  木や「しげみ」なんてないんですよ。


 車で移動中やトレッキングのときは、同行者からみえない 丘の向こうまで歩く。 と、そこには別の道があり車から手をふってくれたりする。 基本、尻が見えなければいいという思想らしい。 諦めが肝心だ。


 モンゴル常連の方に聞いた話によると、数十年前はもっと草は多かったらしい。地球乾燥化が原因ということ。


 さて、数年以上前から、観光のさかんな地域では、 家(テント住居ゲル)のそばにちゃんとトイレがある場合が多い。



そのトイレだが......   



 3m X3mX3m、もしくはもっと大きい 四角くほった、単なる穴。 周囲に、60-70cm高、足が隠れる程度のボロボロの木の柵。柵の橋のとかいがい、つかまるものもない。  下の方に、しかるべきものが堆積している。位置的にはもちろん、家屋であるゲルや人が出入りする他の設備とも すくなくとも100m以上は慣れて作られている。しかもときは夜。  これで雨でも降った日にゃ...


「こんなところで死にたくないわあああっ!」 


(これは、2007年頃観光地テレルジで見たものだが..   その後も去年・今回と行ったナライハの、プロのホームステイ家もほぼ同じであった...)



 だが、現在いろいろな形があるようだ。

今回、ステイさせてもらったT家のトイレは、現在わりとどこでも可能な形のなかで、ベストではないか?と思う。 観光客はほとんどこないようだが、 10歳と14歳の娘さんたちが、夏休みで帰ってきていた。(草原の子供は通常近隣の町の学校などで寄宿生活をする。夏休みなどに家庭に帰ってきて仕事を手伝う。)

 そこのトイレは、1mX80cmX深さ1m弱程度。 

 おちても....まあ死にはしないな。 板囲いは最低限だが、なんと直径2センチくらいの、長さたぶん2mくらいの鉄の棒が、2本、その前に刺さっていた。 がっつりうちこまれていて、私でも安心して捕まって用を足すことができる。 

 前期のブラックホールトイレは、おそらく小型の重機などで、掘ったと思われる。 大きなツーリストキャンブなどでは自前で持っているところもあると思うし、田舎でも裕福な家庭はもっているておそらく共同で使っている。観光地なので借りることはできるのだろう。


 今回ホームステイしたTさんちは、おかあさんが病気でウランバートルの病院に入院しているらしく、お父さんが一人でほとんどの仕事をしながら、娘さんたちを守っていた。 重機を借りるような予算はないが、プロ家庭でもつかっていない、貴重な鉄棒を入手して、しっかり、うめている。娘さんたちへの愛情の賜物だろう。


 また、後日おとずれた南の人口の少ない地域では、伝統露天スタイルでほっとしたが、この、まちにちかいばしょに 瀟酒な家を立てておられるお爺さんお婆さんの家では、野外にちゃんと小屋があり、 洋式型の便器がちゃんとあった。 下は、くみとり? 式か、ブツたまっている。が、乾燥した気候のせいか、水分がほとんどないようだし、においもなかった。便器のフタが何故か木製で、べたべたしない。小屋はボロいが清潔な感じだった。 


 たぶん、深い穴は、地面とブツを離すことで、ハエなど環境衛生上の効果を期して作られているのだろうが....行政の指導などもあるのかもしれない。



しかし、率直にききたい。

  今まで事故はないのか??? 一応囲いはあるが、尻を隠すことと、家畜がおちないということしか考えられてないと思う。人間は???
経済的に豊かなプロ家庭であれば、T家でもできた、鉄棒のようなものをせめてつけようとか、10年以上も前につかいはじめながら、だれもやろうとしなかったのか?


もう一回言わせてもらう。



「こんなところで死にたくないわあああっ!」 


えー、モンゴルにいかれるみなさんに一言。
「大人用紙オムツ」もってってよかった。 実は、これ、旅行にはもってというか時にははいていっているし、車には2.3枚常備してる。けっこうかさばるし100円ショップのパンツより単価たかいが、役に立ちます。乗馬の時も、鞍が硬い場合クッションになるのだ。いまは「携帯トイレ」というのもあるが、開けてみたら、非常時にはオムツのほうが有能そうだと思う....




さて、トイレのつぎは下◯の話である。

 

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