モンゴル生活記 |23 伝説の炎

 

モンゴル生活記 |23 伝説の炎


いーやーまいったわ。モンゴルに21日間。

帰国1日目 軽く掃除、きてたもの洗濯。 爆睡。

  2日目 気分リフレッシュできたからと、自費出版の編集作業を始めよう!! と思った午前中空港からおくった荷物届く。洗濯。洗濯しながら、爆睡30時間。帰国3日目 「まあ長かったし一日ぐらいありだよな」.....  机に向かう。「自費出版」フォルダ開け必要なデータを展開して.......で、 体に力が入らない。「十分寝たし、気力もある..。」が、脳も動かない。なんというか、エネルギーはたっぷり、エンジンは全開で回ってるのにギアがはいってないって感じ?...ずるずるずるスライムのようにイスからすべりおちてベッドへ。



 今回のツアーで最初からすごくお世話になったGさんに聞いたのだが、「国をうつると体調崩すことあるから、お大事にね.。」Gさんはモンゴル人だが、日本でくらしてん十年になる。たびたび帰郷のため移動しておられるのだろう。 現在、コロナ警戒がモンゴル日本ともかなり緩んでいるが、帰国者など含めコロナ感染者がでている。市販の抗体検査キットで確認したら、私は取れ合えずシロだったようだ


モンゴルは熱かった。 でも雨と嵐にも悩まされた。




モンゴル生活記-   「ゴビー炎の伝説」








 皆さんも、聞いたことはないだろうか? 「牛のフンを燃料にする」と。

旅行記などでは見るが、モンゴル旅行数回、ホームステイも3回した私でも、じっさいにこれを燃料に使っているのは見たことがなかった。 例外は牛ではなく馬のフンに火をつけて煙を出すのだが、これは虫除けのためだ。

 首都から数百キロはなれた地方で、木などない地方でも、おそらく数ヶ月に一回どここから買うのであろう、直径数十センチ、長さおそらく5メートル以上におよぶ大きな丸太を、これまた巨大なコギリの刃 -刃だけ- を夫婦で持って、夕陽の中で、毎晩の燃料を切り出していた。


牛の糞は、いくらでもあるのに...


生活記 は前半ウランバートル郊外の観光地ナライハで薪割り

     後半 南300kmゴビのふもと灼熱の牛に支えられる大地で肉を焼く

     +ウランバートルまちある記 となります。



大阪-ウランバートル-ナライハ(ウランバートル東リゾート地)


 さて、初手いきなり 20日発ミアットモンゴル航空の都合で10時のはずが深夜2時ごろの到着に、迎えに来てくれたGさん姉妹(妹)とその娘さんたち!! 

さんきゅー!!

パワフルなこどもたちというか女の子でも、男の子でも、なんでそんなに力自慢したがるのよ。?いや、力が強いのは良いことだよ?   男でも女でも。でもミネラルウォーター4リットルボトルX4     16Kg +他の荷物 13歳の流行のコンビジャケット着たきゃしゃな女の子がさ?

そんなサポートのもと、ウランバートル急遽とめていただき、食料など買い物をすませ、





いろいろ手間取って、ナライハのT氏宅についたのは23日午後。


 ウランバートル東北の観光地テレルジの手前ナライハ。 乾燥した国だが、やや標高のたかいこの近隣はさすが、森や川もおおい。T氏のゲルはそんな、絵葉書のように手前に川が流れ向いにはポツポツ、やがて森と連なる木々。


   たまたまにキャンピングのプロにテント設営してもらうことができ楽勝♪まあそれでも、あいさつ、荷ほどきでおわり、テントサイトを使いやすくカッコよく..とおもったがその日はつかれて荷物の山でねて、24日から


2つのスキーバッグ-これは。一つはこれまで海外旅行に
ずっと付き合ってくれた相棒だ。満杯で20kg以上あっても、
指一本で引っ張れるんだよ。けっこう草原の地面でも平坦ならいける。
 もう20年も前から、破れたり変色してて、同じようなのを探して、
似たようなのはさがし、買ってはすぐ分解をくりかえし..。 
   30年の時を経て近所のリサイクル屋で双子を発見したのだ。
今回、モンゴル航空に1万円払う覚悟で2つ携行。
(帰国の時は重さ変わらんのに
半額だった。空港でちがうらしい。)





















のテントはネットで探しまくって買った、煙突穴がついているちゃんと耐火構造なのだが。

...「こんなテントの中にストーブなんてとんでもない。!といわれつづけ、... 

買った煙突が短すぎてとおせなかったので、諦めてテントの前に置いた。






モンゴルで初めて調理。    なんとか、わが「ストーブ」火おこしには有能な小型の筒ほかの最低限の道具をバッグから引っ張り出し、 ウランバートルで買った、モンゴル家庭でも使えそうな小さいが本物のストーブ。を設置。 







いろいろ不自由とはいえ、ストーブや道具は合理的にまとめてもってきたし、

設置もなやむほどのことはなく、すぐに火おこし。

 だが... マッチがまったく用をなさなかっw。 まきに着火できないんでなく、そもそも全く火がつかないのだ。ウランはバートル郊外の大型ザハの仏具屋で買った普通のマッチだが、ハズレを引いたようだ。 おなじやつをたくさん買ってたので全滅w

 他のものでも言えると思いますが、(水でもおなじことが...後述)作動保証、検証のないものは、可能なら数種類・別商品を購入すべき、ですね...       ライター買っといてよかった...。


 なんとか着火。まずコーヒーのみたいっ! 火勢があがらず、沸騰に時間かかり、はやめにあげてしまった... いまいち、ぬるいが、まあ、苦労して起こした火で飲むコーヒーは格別。(と思わないと辛いよね^^;)  肉やイモなどを加熱して食べるのは今日は諦め、あとパンとリンゴ、チーズにレバーペースト。などをと、レバーペーストはソーセージみたいな形で密封だが、早く食べないとね。


 チーズはT氏宅の自家製でなくウランバートルの市場でかったもの。「モンゴルの一番普通のチーズ」ということだが、 なんか、硬いモツァレラチーズのようでおいしそうとおもったのだが、 なんかおなかにひっかかるというか、パサパサして喉を通りにくく、、おいしくなかった。チーズ大好きなのになあ。???    あとでこれは、薄切りしてリンゴと食べるとうまいということがわかった。 でも、料理には向かない...加熱すると溶けずボロボロの味のないカタマリになる...。パンにも、全くなじんでくれない。



 

マキはちまちまと用意できたしいわゆる着火剤もたくさんもってきてある。だがなるべく着火剤なしでつけたい。 かしくなかった。 というか「乾いた細木」が着火剤より火がつきやすいのは経験済みだ。



 この、薪を細く切るというのは意外に大事で、細めでみじかいまきがある程度の量ないと、紙や着火燃料にせっかく日がついても、それを大きい薪や炭を長時間燃焼にはつなげにくいのだ。着火剤になる紙も大事だが、この短いたきぎが薪と炭には最も重要と思う。のちほど牛糞燃料も使ったが、このときも短い薪が貴重だった。現地にはほとんど木はなかったので、もっていった数本と、「割り箸」が活躍した。 罪悪感いっぱいだが、某キャンプ地で話した女性キャンパーも、けっこう使っているとのこと。^^



それでもって、飯炊きをした奮戦記が下記。

https://www.facebook.com/100000389938879/videos/220027973904482/



 わたしは、モンゴルのうどんはうどんとみとめないW。

うどんとおこげご飯について。




一時間たっても湯気が出ず...


いや、このコゲが、うまかったんです。


モンゴルのクロテッドクリーム、「ウルム」と合わせると最高!!
ウルムは遊牧民宅でも必ず作っているもの。肉やハムがうまくいかず、タンパク質補給にたくさんたべさせてもらった。


パラグライダーもたのしむキャンプ師匠北海道M氏のいわれたごとく「気圧」のためかもしれない。 するとだ。

 わたしは、モンゴルのうどんはうどんとみとめないW。

コシがないんだもん。表面ボロボロで、汁で色が変わってしまったようなものばかりだからだ。モンゴル人に言わせれば「スープの味がしっかり染み込んだおいしい麺」らしいが。日本人はそれを「のびた麺」とよぶんですが...








 



 
















 
羊の解体。






...きれいな青い瞳だった。



 さて上述のごとく、ここいらでは牛糞はあまり使われていないようだ。人口も、木も多いとはいえ、すぐ切り出せるわけでもないナライハやテレルジでも、そうだった。 今回は、一週間、自分もウランバートルで買ったマキでにたきしながら、過ごしたのだが、ホストのT氏宅でステイ中も乾いていそうな牛糞を集めて聞いたんだけど、「こういうんじゃ。まだダメ」といわれつづけて、結局最後まで火をつけるに至らなかった。


 「牛の糞は、冬に湿度が下がって、カラカラになったやつをつかうために、薪の手に入る夏はためておくのかなあ?  そういえば、冬に薪を切るのはむずかしそうだぞ。?  なんせバナナで釘が打てるんだから...(本当)、などとおもっていた。 


しかし。このあと、「牛糞調理」をおもいきり、体験できることになる。



薪と斧


 さて、ナライハでのホームステイでは ウランバートルのザハで買えなかったんだが、路傍で、なにかの工事現場、おそらく工事のために切った木を 現場で燃料につかいつつうってる? ---のに遭遇たまたま見つけた薪を大量に持って行き、使っていた。 

 

 このまきも、わたしの小型ストーブにはおおきすぎて、こまかくきらねばなになかったが、 普通の斧は重くてわたしはつかえず、 アマゾンで入手した、上の写真のような「逆さ斧」をつかっていたが......

    T氏の10才と14才の娘さんたち、でかい斧を包丁のように持って、ちょんちょんと おおきい木片をわりばしサイズに...w

うーーーーむ ...


きゃしゃなようにみえるが、街の娘も遊牧の少女も とにかく強いW

「情けない」てのはこういうのをいうんだな。きっと。




牛糞をふくめ、なかなか香り高い記事になりました。

とりあえず食事しながら読むのは、避けられた方が良いかと思います。

 









 














...ますます匂い立つなあ...香り高いレポート...


 22日 にはじまったホームステイ。 





雨と風


 ただ、モンゴルの他の地方にも、テレルジにも何度かきたが、乾燥した国と思っていたが、雨、ときどき暴風雨、時により雷つきに1週間にいちどくらいはあっている計算になる。 運がいいのか、悪いのか。

今年は同時期に日本でも台風通過があり、この山間では、毎晩のように突然の雨になやまされた。もちろん、ちゃんとしたゲル住居はびくともしないが、 

 結論として「テント生活に挑戦!!」は無謀だった。


次回からはテントは小型にして、完全閉鎖して荷物置きと考える。ねるのは露天で夏なら大型ビニル袋にシュラフでじゅうぶん。 

風を感じ星空を仰ぎながら..が理想だったんで 窓開けて寝たのが敗因だった。




トイレット



 3日目くらいから、お腹の調子がわるかった。

 用意した食料のうち、肉はお土産にした鶏肉と、行方不明になった干し肉と、ハムと、チーズをたくさん。  あとは乾麺と、こめ、じゃがいもなど野菜。このなか、チーズたよりの栄養源だったのだがどうも普通と違う。 加熱してもとけないのだ。たべると、味はいいのだが、お腹に非常に重い気がしていた。


  通信もこのとき、だめになっていた。Gさんの妹さんにお世話になってSIMカードを買ったのだが、さんざんトラブった後、つかえないことに。W なんとか、softbankの海外安心契約にもどしてみるとちゃんとつながった。Gさんにチーズのことをきくと、 「水が合わないのでは? 環境が変わるとよくある」 「水?」(Gさんは数か国語を操り、長期に渡り祖国モンゴルや日本、中国などを行き来している)

わたしはもともと鉄の胃袋で、そういう経験はなかったが.飲んでた水は4リットルのちゃんとしたミネラルウォーター。それを6本買ってきていた。(同じやつ)

でもたしかに、水も飲むたびお腹にストレスが溜まる気もする。しかしこれしかなかったのでずっとこれをのんでいた。


    けっきょく、下痢ってずっと治らず、前記の快適なトイレもよごしてしまい。T氏には迷惑をかけた。


     なお、このあと場所をうつって別のミネラルウォーターを飲み始めるとこの下痢はころっとなおった。


    みなさん、長期の滞在予定のためにミネラルウォーターを用意する時は、 一種類買うのでなく、数種類まぜることをおすすめします。w









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8/2日ー7日 ゴビのふもと 灼熱の草原にて伝説と対面

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貴重な燃料だが、乳搾り場ほか、いくらでもあるもの、大まかにスコップで
ゲルキャンプのバックヤードに小さな山ができている。
乾燥しているようだがその辺で拾ってもあまりかわらない。




糞の乾いたのなんて、さくさくボロボロしているだろう、とおもったが、意外と硬い。
軽いのに固く、表面がすこしつやつやしているものもあり、丸石のようだ。
さくさくのもあり、これは着火しやすく、おんどもあげやすいが、が、すぐ燃え尽きる。
硬いものほど長持ちするが、
薪の大きいのをうまく興したり、質のいい炭などのようには火を維持できない。
B家のおくさんなどの挙動を見ていればなにかこつがあるか、
おそらく、しっかりちゃっかしたあと、大きいストーブで大量に加熱燃やすことで、
長持ちさせられるんではと思う。
キャンパーのミニ窯では様子を見ながら温度が下がらないよう糞を追加していくしかなかった。





この熱い草原には、木がない。 なんでこんなところにすんでいるのだろう。
意外だが水は、たまにある泉や枯れ川、 井戸地下水からえていて、  B氏は裕福なためか? 今はエンジン井戸で、たっぷり、私もおいしく飲める綺麗な地下水がたっぷり得られている。



最も大事な家畜と呼ばれる馬でなく、
牛乳と牛糞にさえられているのだ

他の生き物と違い、ヒトは火がなければ生きていけない。

このバトル氏は 牛をたくさん飼っている。家族5-6人にたぶん30-40頭はいるだろう。


牛乳搾りが大変なんだが..こんなにいらない、と思うくらい チーズも
ミルクも肉も人間一人に牛十頭分もこんなにいらないだろう。 だがそれでも飼わねばならないんだ。

牛糞しか燃料がないから。

動物は水があれば生きていける。
しかし、人間は火がなければ生活できない。



(B氏はレース馬生産者だが、ふつうの牧民にとってもモンゴルでは馬が一番重要な家畜にだそうなんだが...)

この乾いた大地では、 食料も燃料も、牛が人をささえているのだ。








ウランバートルから300km、ゴビのてまえ乾いた草原、今回の旅をたすけてくださった

姉妹のご親戚、 レース馬を生産しているというB氏の家にたどりつく。



「木がまったくない草原」である。

















サラダとビーツの煮込み。
ビーツは北海道にもあるさとうだいこん。
煮込むと香りのいい甘いデザートになる。
甘味が苦手な私もこれはいけた。

モンゴル入手の材料で何とか作ったラーメン。いがいとうまかった。











馬タンon 伝説の炎牛糞


"ウルム"調理中

青空だが強風中。シュークリーム型と化した 
移動用組み立てゲル
















⭐️牛糞で麺を茹でてみた、やっぱり、どんなにがんばってもすっきりはしない。「かろうじてコシがすこーしある程度」になる 。


もともと、水の少ない国だ。 基本茹で水は捨て、水であらってシャッキリしめることで成立する日本のような麺の味はそだたなかったろう。と思っていたが、でも、それだけじゃなくて、 モンゴル目と日本の麺のあじわいがちがうのは、この「気圧」のせいもあるのでははないだろうか?



































⭐️牛糞で麺を茹でてみた、やっぱり、どんなにがんばってもすっきりはしない。「かろうじてコシがすこーしある程度」になる 。


もともと、水の少ない国だ。 基本茹で水は捨て、水であらってシャッキリしめることで成立する日本のような麺の味はそだたなかったろう。と思っていたが、でも、それだけじゃなくて、 モンゴル目と日本の麺のあじわいがちがうのは、この「気圧」のせいもあるのでははないだろうか?









◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️   ○◆ ⭐️   ○ ◎♪◆ ⭐️ 


ウランバートルのヘソ出し少女たち
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パワフルなこどもたち


ミアットモンゴル航空の都合で10時のはずが深夜2時ごろの到着に、迎えに来てくれたGさん姉妹(妹)とその娘さんたち!! 

さんきゅー!!


というか女の子でも、男の子でも、なんでそんなに力自慢したがるのよ。?


いや、力が強いのは良いことだよ?   男でも女でも。みんなに自分の能力を見せるのもいいことだとは思うんだけど...@@@ミネラルウォーター4リットルボトルX4     16Kg +他の荷物 13歳の流行のヘソだしコンビジャケット着たきゃしゃな女の子がさ?



このあとも、ずっと幼いテムジン君、前期の4リットルX4と10キロ以上はあるバッグほかをテントに運び続けた.....おかげで、ホームステイ家族に用意したジュースと高級お菓子を、とられ、、、もとい置いてきちゃったよ。





2005年最初の渡航時  スマホもまだ持たない私は、「地球の歩き方」をたよりに、わずかなフリータイムをウランバートルで過ごしたものだ。
今回は、昔なじみの「あづさや」をひきついだゲストハウス、 KHONGOL に4泊ほどした。メインストリート「平和通り」ぞいにある。昔日本人のアルバイトマスターが管理していて、ご飯が無料で食えたところである。 炊飯器と米が置いてあって自由にくっていいのだ。毎日おにぎりつくってでかけてた女の子もいた。(このサービスは今はない。;;)



昔に比べて綺麗に舗装された歩道には、露店がおおい。果物がめだつ。飲み物や雑貨、ほかや中古服、キオスク的なものとアメ村的なもの、 そして今は立派な「コンビニ」CU がある。("see  you"らしい)品揃えは日本と似たようなもの。値段は日本のと同じくらいの感じだから、高めだろう。 
 今回めだつのはソフトクリーム屋台だ!。 
 飲み物頼んでも氷入ってないし。豊かで、田舎の遊牧民でも冷蔵庫もっている家もある今になっても、暑い国だけどそれほど冷たいものに対する欲求がないのかな? 草原でも熱々のスーテーツァイ(塩味の牛乳茶)を喜ぶし、とおもってたんだが..



甘いものは苦手なんですが、ソフトクリームは好きだし、モンゴルの牛乳は乳糖が多く、アイスクリーム名物 ときいてた。なんで、..勇気を出して買ってみた...
が...
〜お百姓さんごめんなさい〜  半分捨てました(😭)。 なんだろう、このときは後述の腹下しも治ってたんだけど...  すいません甘味は苦手で、あますぎるのかどうかさえわからなかったんだが とにかく、まずいとも思わなかったのに気分が悪くなった。
もとより日本のソフトクリームとは成分も違うんだろうが...


 北海道やモンゴル、ロシアではさとうだいこん(ビーツ)てのを産すると聞くが.. 日本の砂糖は、たぶん南方でとれるさとうきびだと思う。
 これは、野菜としてもおいしい!!  薄切りしてサラダにも、 じつくりにこむと甘いがさらったとしたお惣菜-デザート?-になる。 このあと記す私の草原料理の、数少ない成功作品だ。






メルクーリザハのあったあたりに
たっていた豪華ビルの地下に
ダイソー出現w


「メルクーリ・ザハとよばれる市場が市内の中央あたりにあった。
当時、モンゴルの物価で、食糧品や快活必需品の価格は、当時のレートで
日本の1/10ほどだったと思う。
 このマーケットは不思議な構造で、まんなかしきりがあって、通路で行き来できたが、もう片側は ブンブクル・ザハとよばれていたが、設置がスーパーか、ボックスショップかというだけで、同じようなものを売っていた。 実際、まったくおなじそうめんを売っていたが、値段は、3倍以上。ミネラルウォーターなど同じ商品が他にもあったが、ブンブクルでは数倍の値段。 ただ、高級な服など、生活とは呼べないものの売り場もあり、それらの値段は日本の1/3くらいだったと思う。なぜあれが経営を続けられていたのか...しかし、こういった二重経済は、     当時いわゆる「発展途上国」にはめずらしくなかったのかもしれない。

デパート前 アジア風料理カフェで。
中身の濃いサラダとビール。¥600くらい。





 ザハにいく戦闘服  
 特に大きなザハ-ここでは、昔ながらの「市場」売り場が多数あって、全体が露天のものもある。こういった場所では、スリだけでなく、構内でストリートギャングにとりかこまれたり 強盗にあうこともある。最近はセキュリティも上がったとは思うが。 あまり高そうな服を着ない、ということもあるが、「金目のもの持ってきてません、ほら、お金入れる場所ないでしょ?」アピールが大事。質素な服でも 「大事なものをいれてます」なウエストポーチや、ポケットのおおいジャケットなどもNG> アーミー風のポケットたくさんのベストを着た高身長のがっしりした男性が、ザハで、ストリートチルドレンに取り囲まれて強盗された、ということもあった。
 ただ、むしろ「女性より 男の方が狙われる」とのことだ。理由は、「女性は、お金を持たされていない」ためだそうで...というより、
 「金目的で女性を襲うのは道徳に反する」というような仁義?があるんじゃ、と思うんだが....どうだろうか。
(なお、とくに若い女性はちゃんと襲われて危険。)



1.最低限の現金などは胸ポケット、2.シャツはズボンから出してポケットをかくす、 3.ほかのものはズボンの見えないポケット、シャツのなかなど。 4.バッグ類はたすきがけ。

 安全100パーセントを期しては、なにひとつできない。夜でかけるときは、周りの様子をさぐりつつ、「女性の一人歩きがあるか?」で外出を決めた。 10時過ぎでも、結構いる。あとは、キョロキョロしないことだ。道がわからなくなったら悠然とその辺に座り込み、スマホをのぞく。


 いま、ヘソだしが世界的に流行ってると聞くが、
確かに何度も見た。ブラのうえに普通のジャケットを着て前を開けてるだけかと思ったがジャケットごとヘソだしデザインで、背中も開いてるんだねw 生地が少ないのに高いらしい。 いや、日本では大阪市内だが地味ーな住宅街に生息してまして、ダウンタウンにはほとんどでないんで..おしゃれに疎いもので。宿のゲストハウスは首都の繁華街、私の○X区□◎2丁目よりずっとおしゃれだといえる。たまにミナミの夜などに出てるが、10年前から見飽きてて、あまりかわりない感じがして 寂しくてしようがない。20年前ごろまでは数年ごとにヘンなものがでてきて楽しかったのだが..。ロングスカートが最近の流行りらしいし、大人の女性がロングで外を歩くのがひさかたぶりで珍しかったが、デザインはべつにめあたらしいものではない。

 いまでは街では見れないフリルだらけの少女たち、40年前のヘソだし、 「コスプレ」「わかってます。この格好は非常識で、私はダメな人です。」or「いまはお祭りだから。理由がなければこんな格好しませんよ!!」
 なにか理由をつけないと好きな服も着れない。
いつのまに日本はこんな人形国になったんだろう。

ファッションなんか生み出せるわけないな。
知らんけど。



 こっちの方がフレッシュだ。
13-4才の女の子たちの方がぞってきてたのはたまたまかな? 夏は暑いし、現行習慣的にも、肌を出すのに日本より抵抗がすくないように思う。若いお母さんたちは、街角やたくさん客のいる家で、よく母乳を赤ちゃんにあげていた。アラウンド◎○の私でも中学生の時はすでに抵抗があった、(都会人なもので...) 懐かしい光景だけど..




 コミックイベント主催者たちよ、服装規制までやめたらどうです。?   会場外でどんな服着ようが口出しすべきだと本気で思うんですか? 
 昔モンゴルの友人が親戚の挨拶の帰りに支援者の方と私のブースに寄ってくれた時、
 「そのかっこ!コスプレ許可もらってるの?」と批判されかけた時は焦った。親戚の式の帰りで正装できてくれた。絶対侮辱なんかしないでくれ、と強気にでた。 わかってもらってよかったよ。  

 正装だろうがなんだろうが人を服装で見下すの自体おそろしく非文化的だと思う。日本よ、人類よ、はやくこんな状態から卒業してほしい...。












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